シンガポールはアセアンの中で、金融センター、通信情報センター、流通のハブ、最先端医療科学研究ハブなどでその存在感を示して行くSmart Nationの政府方針を明らかにし、経済開発庁はシンガポールを「Home of Innovation」と位置づけ、ビジネスゲートウエイとしての活用を諸外国に求めています。
One&Coは、そんなシンガポールでのイノベーションを考えるに際し、複雑に絡んだ“空気”の理解が欠かせないと考えています。徹底的なローカライズの積み重ねによってのみ、その理解が進んでいくのではないでしょうか。
多様性と日々向き合い、日系企業を支援し続けているJETROシンガポール事務所。新たなイノベーションを狙うビジネスマンは、どのように空気を捉えるべきか。様々なスタートアップを探し支援し続けているJETROのイノベーション・チームにそのヒントを伺いました。
Profile
JETROシンガポール・イノベーションチーム
澤田佳世子さん(JETROシンガポール事務所 / シニアディレクター、ビジネスディベロプメント&PR)2015年からシンガポール事務所に駐在し、日本への外国企業誘致とイノベーション関連を担当。
本田智津絵さん(JETROシンガポール事務所 / アナリスト)シンガポールを中心とした調査を担当し、経済記事やスタートアップ関連レポートを執筆。他の共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)がある。
Carmen Peckさん(JETROシンガポール事務所 / シニアマネージャー)電気関連メーカー、化粧品会社を経て、2015年にJETROシンガポール事務所に入構。日本への外国企業誘致の他、スタートアップのマッチングを行う。
――まず、JETROシンガポール事務所の事業概要について教えてください。
JETRO (以下、敬称略):はい。私たちは日系企業の海外進出、日本に進出する外国企業の支援、またそれらに関わる情報提供という3本柱をメインに取り組んでいます。具体的には日本の地方産品など食品の輸出促進や商談会開催が主な取組みですが、その中でも新しい取組みとしてイノベーション分野に注力し、最終的に日本をイノベーションハブにすることを目的に、現在世界12ヶ所にグローバルアクセラレーションハブを設け、日系スタートアップの進出や海外スタートアップの日本への誘致を進めています。
――誘致について「量」で言うと、どれくらいになりますか?
JETRO:東南アジアのグローバルアクセラレーションハブはシンガポールのみで、シンガポールを拠点にしたASEAN地域への進出を目指して設置されていますが、およそ全体で80社くらいの日本のスタートアップを支援しています。並行して、日本へのスカウティングとして、シンガポールに本社登記のある海外企業もサポートしており、その数はおよそ50社くらい。シンガポール本社登記企業といっても世界中から企業が集まっていて、経営者の国籍は様々。アジアのイノベーション拠点はシンガポールに集まりつつあると言えます。
――日本の80社についてもとても興味があるので別の機会に改めてお話を伺えればと思いますが、もう一方、50社の海外企業は、日本の何にポテンシャルを感じているのですか?
JETRO:日本には言語バリアがあるものの、彼らが興味持つのは1億3千万人、それも東南アジアと比較すると所得の高い人口がいる市場としてということと、資金や技術、既存の販路を持つ日系企業との取引です。中でもフィンテック分野等ソフトウェア分野での進出を検討している企業が多い印象です。
――どんどん進出事例が増えて欲しいと思いつつ、日本は今どのようなポジションにあるのでしょうか。
JETRO:私たちイノベーション担当チームの活動原点には、イノベーションが世界各地で日増しに広がる中、日系企業がその環境に入りきれていない現状に対する課題意識があります。今まで東南アジアで多くの貢献を果たしてきた日系企業ですが、イノベーション文脈になるとまだまだ日系企業が貢献できることは多いと感じています。日本において、東南アジアのテック系企業への関心は高まりつつあるものの、まだ実際にそうしたテック系のスタートアップとのコイノベーションに取り組む動きは始まったばかりかもしれません。私どもジェトロが2018年10~11月に実施したアジア・オセアニア進出日系企業実態調査によると、シンガポールに進出している企業でイノベーションやコワーキングなどに興味があるのは全体の17.6%でした。このうち、実際にスタートアップを含むテック系企業との共同開発センターや協働オフィスを設置した日系企業は12%という状況にあります。
――まだ、始まったばかりともいえるコイノベーションの取り組みの現状を、日系企業自身はこどのように捉えていると思いますか?
JETRO:現場(シンガポール)と本社(日本)、各担当者に温度差のあるケースが多いようです。シンガポールや東南アジアの技術進歩やスピードを日本側が感じられていないような状況です。シンガポールには各国企業のイノベーション拠点があることも多く、政府主導での実証実験も盛んに行われており、世界の動きを肌で感じられます。
――東南アジアでイノベーションを取り組むべき理由、どう考えてますか。
JETRO:東南アジアにおいて、これから主戦場となっていくのは、イノベーションによって生まれる新しい市場です。単純に日本が持つ技術と、東南アジアの現状の技術を比較しただけでは、これらか創出されていくであろう市場のポテンシャルを見過ごしてしまう可能性もあります。東南アジアのイノベーションを取り巻く環境は非常に速いペースで変化しています。この危機感を少しでも日系企業関係者に伝えることが重要だと感じています。
――One&Coでは様々なストーリーや実例など紹介して行くイベントやwebコンテンツも準備しているので、とても参考になります。JETROさんが果たしてきた支援の中で一つ何かご紹介いただけますでしょうか。
JETRO:例えば筑波大学発で自動追従ロボットをつくる、Doogという会社があります。日本国内では倉庫等の限定された場所でしか使用されなかったのが、シンガポールに来て用途が広がり、空港や図書館など公共スペースでも適用できるようになりました。Living Labと呼ばれる実証実験が盛んなシンガポールを上手く活用できた一つの事例ですね。
――特に公共機関の場合、日本では導入段階まで幾重にも重なるハードルがあり、皆さん相当な時間を要していますよね。シンガポールであれば可能性が一気に広がりそうです。
JETRO:素晴らしい技術があるからと安住はできないのもシンガポールです。2018年2月に立ち上がったシンガポール地場の企業が開発期間わずか1年間で自動走行可能な自動追従型清掃ロボットの実証実験を終え、さらには多言語化対応まで手のこんだ機能まで取り入れた商業生産の段階に至っています。この企業は各国からエンジニアを集めており、日本人もいます。自分たちに人材がいなかった場合でも、世界から引っ張ってこれるのもシンガポールの強みでもあります。日本のような既存の先進国は段階的なテクノロジーの進化を歩んできましたが、世界では現在Leapfrogと呼ばれるように進化の過程を飛び越えた、目まぐるしい進展が始まっています。
――日本では考えられないスピードです。そんなシンガポールで、日系企業にはどのようなチャンスや課題があると感じていますか?
JETRO:日系企業もシンガポールを開発拠点の一つとして活用したらどうかと感じています。課題としてあるのはスピード感。現地スタートアップと日系大手企業が協業するときにいつもスピード感が懸念材料となる。秘密保持契約の締結でさえ、通常日系企業は社内承認を得るために多くは3ヶ月ほどかかってしまう例もあると聞いております。
――そのスピード感では新しい技術の鮮度が下がってしまう、とスタートアップのメンバーは感じそうです。他にはどうですか?
JETRO:かつては日本が得意とした製造業やエンジニアに興味のある人が多かったのですが、日系企業は現在、就職・転職市場において魅力を感じられていないというのも課題の一つです。そのため優秀な人材の確保が難しい状況にあります。シンガポール自体、現在経済発展をし続けているため、学力基準も世界でもトップクラスに、平均給与も年々増加傾向。日系企業の場合、キャリア形成と給与においても多国籍企業に比べ、年々魅力が劣ってきているのが実情です。日本好きなシンガポーリアンは沢山いますが、わざわざ就職先として日系企業を考える人は少ないのです。
――考え方を変えると、日系企業が自らシンガポールに来て良い待遇で招き入れれば、優秀な人材の獲得が可能になるかもしれませんね。最後に、コワーキングスペースOne&Coを通じて期待したい未来があればお聞かせください。
JETRO:東南アジアの窓口として、ハブとして、日系企業と地元ビジネス界の交流の場として発展してしいくことをか期待しています。特にテック分野での日系企業の存在感を示す一つの拠点として、交流が深まれば良いなと。また、日系企業が抱える課題の情報発信ハブになることにも期待しています。
One&Coはイノベーションについて、「あらゆる違いをInclusionし、刺激的な発見や予想外のコラボレーションを楽しみ合おうというスピリット」の共有から生まれると考えています。既存の市場ではなく、「イノベーションで日々新しく生まれ成長している市場」でのシェアを見なければならない。JETROさんらが見つめる「新たな市場」は、イノベーション全盛の時代だからこそ、すべてのビジネスマンが持つべきマインドではないでしょうか。それを国内外問わず適切に情報発信・接触していくことで、JETROさんが語った事例のような、世界基準のスピード感を契機にしたイノベーションが生まれるのかもしれません。
2019.08.16 | text by TAKAHIKO ITO